永田町特別救助が麹町特別救助に移転
東京消防庁 消防特別救助隊
昭和44(1969)年8月1日から、麹町消防署永田町出張所に特別救助隊を一隊設置して暫定的に運用を開始しました。
次いで昭和46年(1971)5月には、西新井(現足立)消防署に一隊が配置されましたが、これも暫定運用でした。特別救助隊が本格的に運用を開始したのは昭和46年6月15日からです。オレンジ色の服は、昭和47(1972)年9月18日から正式に特別救助隊の服とされ、セントバーナードの腕章は、昭和48(1973)年11月11日から付けられるようになりました。
永田町救助 東京消防庁の第1号消防特別救助隊
消防総監が現場指揮を執る、第4出場となったホテルニュージャパンの大火災に先着隊として現場到着し、伝説の消防士と言われている高野特別救助隊長(当時33歳)らによって、多数の逃げ遅れを救出したという記録は、いまでも語り継がれている救助隊でした。

高野 甲子雄
1966年東京消防庁入庁。 1978年より消火活動に加え被災者の救出を専門に行う特別救助隊に入隊。
1981年、首相官邸や国会議事堂など国の中枢施設が集中するエリアを管轄する永田町特別救助隊の隊長となる。1982年2月、日本災害史上類を見ない[ホテルニュージャパンの大火災]でも命がけの救出活動を指揮。
当時の様子をこう語る。
あの日の光景は鮮明に脳裏に焼き付いている。午前3時20分過ぎ、隊員らが仮眠中の出張所に出火の一報が入った。麹町消防署永田町出張所の特別救助隊長として2カ月前にホテルを視察。「迷路みたいで火事になったら大惨事になると思った」
“予測”は的中した。現場に急行すると、9階と最上階の10階から煙が噴き出していた。窓から次々に飛び降りた宿泊客はガラス張りのアーケードの天井に落下し、即死した。
部下とホテルに突入すると、懐中電灯の光が見えないほど煙が充満していた。屋上から火元の9階と10階客室内に入り、手探りで宿泊客を捜しだす。ロープをかけて屋上の隊員に引き渡し、66人の救出活動の中心となった。だが、最後の男性を救出した直後、炎が爆発的に勢いを増した。「炎がヘルメットの中に入ってきた。もうだめだと」。気道熱傷で病院に運ばれた。
炎に包まれ絶望的といわれた高層階から66人もの人命を奇跡的に救出した姿はNHK『プロジェクトX~挑戦者たち』炎上 男たちは飛び込んだ~ホテルニュージャパン・伝説の消防士たち~の中心人物として取り上げられました。
高野消防官は平成21(2009)年3月をもって退官されました。
# by bluewest2 | 2009-12-29 11:35 | 管理者の投稿 | Comments(1)





































